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意識を開く・概略―基礎編

成長していくことで本当の自分になる 自己を統合する・変容させるということについて 平池来耶 魂・精神・肉体 ★    人間は、肉体・精神・魂によって成り立っています。 ★    3者は互いに深く重なり合って混ざり合い、関係しあっています。 ★    それぞれに独自の私感覚=意識があります。 ★    精神(マインド)での私意識、その中心機能が自我意識です。 ★    肉体は精神(マインド)の命令や状態に忠実です。〈例 病は気から、恋をすると美しくなる・・・etc〉 ★    肉体は、己を生存させることこそ最重要事項で、快か不快かを基準としています。 また、この意識での他者は、安全か危険か、敵か味方か、食えるか食えないかです。 ★    魂は微細なので、そのエネルギー(光)は精神や身体の中にも浸透していますが、それを汲み取るか否かは精神(マインド)にその判断がゆだねられています。 ★    精神(マインド)は魂の翻訳の役割を担っていますが、大部分は、精神(マインド)内でのことや、身体意識に気をとられがちです。 ★    身体からのメッセージに耳を傾けるには、(不調やこわばりなどの)体からのサインに気を配る、(感情との混同を識別した上での)体が喜ぶことをする、疲れを溜め込まないこと、植物や生き物、大自然に触れる・・・etcです。 ★    身体との対話、自己との対話を深めていくことが、身体意識を高め、精神を高めます。また、そのことによって、肉体と精神に魂の光を通し(魂とのつながりを確立し)、3者のバランスを取ることとなります。 ★    一人ひとりの魂は、大いなる源(あえて言えば神ですが、特定の人格神ではなく、大宇宙や万物の元。)の“部分”であって同質なのです。 大宇宙と小宇宙の関係です。 ★    人間の本質は魂であり、肉体と精神(マインド)はこの人生が終わると失われますが、(緩やかに万物に還元される。魂は永遠で、連続性を持ちます。 ★    樹木にたとえますと、魂は根。精神(マインド)は幹。肉体はその枝や葉。基本的に、根によって成り立ち、根によって養分が送られているのです。(花や実は、3者の結晶です。) ★    3者ともエネルギーによって形態を作っています。 エネルギーを言い換えますと、魂に関するのは「霊(スピリット・※精霊)」。身体では「気あるいは生気(※生命)」。精神では「想念・思念」ということになります。 ★    エネルギーの周波数や波形は、魂がその粒子が一番微細で振動数も速く軽いのです。 身体が一番荒く、振動数も遅く重いのです。 ★    また、そのエネルギーの色彩(オーラ)は、魂が最も、明度・彩度ともに高いのです。(光である)  

補足・用語について ●普通の状態での精神(マインド)は、その大部分が他者(歴史的・先祖的無意識の一部含む)の影響に晒されており、それによって自分を見失い混沌としてします。〈例えば、他者からの評価によって自分の価値を決めてしまう・・・等〉 さらに、低い個人的欲望から派生している、荒いエネルギーが暴走しており、(仕切っており)それが、魂とのつながりを難しくさせています。  ●身体という表現には、肉体だけでなく精神的肉体というニュアンスがあります。(或いは、本人の意思に従う、使い馴らされた全的肉体のこと) ●自我とは、欲望を含む私意識で、普段のワタシ。そのアイデンティティ。●精神(マインド)の中身は、その人が自覚している・無自覚でいる、思考+感情(考えと想いが合わさったもの・想念、思念)が大部分を占めています。 また、顕在意識・潜在意識・無意識と表現することもあります。 ●想念・思念の状態によって、現実の出来事や状況を引き寄せて(自ら引き起こして)います。 ●肉体意識は、生命・細胞意識のことで、人間より動物のほうが良く使いこなしています。人間では、“オートマチック化した本能”となっていることも多いのです。

  意識を開くということについて ★    重複しますが、意識とは、私感覚のことで、精神だけでなく魂にも肉体にも独自の意識があります。 魂の意識とはハイアーセルフのことですが、これは高次精神(深い愛や意志といった高度な感情や、知恵や悟性といった物事の道理や本質を見極める知的作用)と共有しています。 ハイアーセルフとは、個人的な欲望のない高い自己であり、また、転生を繰り返しながら魂の波長に相応しい経験のみを記録、汲み取られた意識で、Futuer・selfでもあります。(※詳しい記載は応用編でします) ★    精神(マインド)は多重層で、成長・発達の段階で徐々に深化させ多様化させていきます。 意識を開くとは、私感覚を広げ深めていくということで、やがては、全てはつながっている、ひとつである、という理解と感じ方へと向かうのです。 ★    乳児では、魂は別にして身体と精神(マインド)はまだ未分化です。例えば、乳児にとって空腹とは、即、自己のアイデンティティの危機です。 ★    発達・成長していくにしたがって、「身体対自己」という限られた囚われから、身体を含む「自己対環境」となり、世間・家族・仲間・所属している場を通して、自己を形成していきます。(意識の多様化が起こります。) 「○○対○○」とは、その発達・成長の段階での自己が、最も関心・関係している、あるいは依存している世界観のことです。 (無自覚なことも多い) 青少年期以降の人が抱える、あらゆる種類の悩みや問題の多くは、「自己対環境」の段階と深く結びついています。 ★   成人して、さらに精神を成長させると(意識を開いていくと)、一部の人は自己実現(自分のあらゆる性質を使いこなし精神を統合させ、自分らしく生きることに成功した状態。或いは、自分らしさを創造した状態)を果たします。 ★    また一部の人は、より本質的になるために、意識をさらに深化させ、いっそう自己の内部に沈殿し、道理や根源といった物事の起源に触れようとします。 自己実現や意識の深化を通して、自分(人間とは)は何者であるのか?どこから来てどこへ向かおうとしているのか?人智を超えた存在とは?生命とは?宇宙の意志とは?本質的な愛とは・・・等の、太古より人類が投げかけてきた、深遠なる問いに答えを見出そうとします。(繰り返される哲学的問いかけ) ★ そして、(ほんの一握りの人になりますが)十分な思索を繰り返したにも拘らずこれに行き詰ったり、〈例えば、禅問答は思考の限界に導くためのメソッド〉それとは逆に感じられる、祈り(すがるのではなく、献身)・瞑想啓示・神秘体験等によって高度な霊的体験が起こったりすると、ついに思考の限界が訪れます。 ちなみに思考の限界とは、考えられなくなる、正常な判断を失うといったことではありません。思考している自分自身と、思考そのものの限界を悟るということです。(思考〈自我〉を超えた状態を経験し認知するということ) そうなると、流れにゆだねる、天(高き世界)に明け渡すといった、人知を超えた存在や世界観にその身を預け、「自分は生かされているのだから・・・」といった、意識された気ままさと意識されたあるがままに到達します。(魂とつながる、覚醒する、次元上昇する、ハイアーセルフとして生きる・・・etc) ★ 意識を開くとは、依存から自立への旅立ちということです。 生まれてすぐは、身体とぴったり重なっていたアイディンティティを、分化させて、環境(世間と人が作り出す全て)へと。 そして、それによって自我を確立し、自我中心の意識からより大きなもの(魂や大いなる源)へと、意識の関心や世界観を多様化させ、深化させるのです。 つまり、意識を開くとは、より統合された私感覚(アイデンティティ)を確立していくことであり、無自覚でいる部分を自覚していくということ。 人間存在として、闇から光へと自立させていく、そのプロセスなのです。 ★   別の角度から言いますと、自己意識が占めていた割合と視点を“個別性(特定の出来事や状況)から全体性(自己の全世界観と宇宙的環境との関わり)”へと。 形や結果(評価)を気にする心から、そのプロセスや中身に目を向けることでもあります。 “自分が何者かに支配されている”“起こる出来事は、自分の想いや考え(または、想念・思念)とは無関係である、“他者によって左右される”という感覚を減らし、そういった考えを変容させ、自分が自分の運命の創造者だと認知していくことなのです。 また、意識を開くとは、霊的成長をしていくということです。 精神(マインド)に、魂の愛と英知を移し入れ(変え)、それによって魂とのつながりを確立し、魂・精神・肉体という3者のバランスを取ること。それが、ハイアーセルフとして生きること、悟るということなのです。

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